ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽で、Memento Moriな毎日を。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。

第1号活動報告書と蕁麻疹を出しました。

さばいでぃー!

みなさんこんにちは。ラオスのラオ子です。

 

 

首都で過ごした4月の旧正月明け、21日にすぐ首都にとんぼ返りして、第3回目の自動二輪教習&テスト、その翌日は第2回原爆展の準備と打ち合わせ、24日に原爆展本番、25日に帰任・・・のはずが、ちょっと体調を崩しまして。

 

蕁麻疹、でたー!

23日の夜中に、原因不明の蕁麻疹で腕と内ももと背中が地図状に腫れてしまい、喉の奥も痒みと腫れが出てちょっとゼェゼェなってしまったので、25日は都内のフレンチクリニックで診てもらって、26日に任地へと戻りました。

 

こんな事初めてだったのでびっくりしたのですが、異常な痒みで目が覚めて、また蚊かよ・・・とイライラしながら電気をつけてみたら、既に寝ながら掻きむしった爪跡が描画症のように腫れていました。なんてこった。しかも、左右対称。これはもう、まごうこと無きアレルギーです。

痒すぎて眠れないので、ステロイドを薄く塗って、普段持ち歩いている薬ポーチの中から、第1世代の抗ヒスタミンを探して即座に飲む・・・。副作用の口渇半端ないけど、もうひとつの副作用の眠気のおかげかそのあとは寝たり起きたり、痒みもなんとなく収まったような、収まってないような。 

そして腫れ自体は翌日午前中にはだいたい収まったのですが、夕方ちょっと昼寝したらまた首周りと背中が地図状に腫れて、結局翌朝までぽりぽり。ぼりぼり。痒いだけだったら良いのですが、喉の奥にまで症状が出ると少し怖い。そして、任地でひどくなったらヤバいということで、受診させてもらいました。首都には日本人の先生が常駐しておられる病院があるので、細かいことまで聞けて安心。任地だとそうはいきません・・・。

 

 

同期隊員には散々「OTC薬をナメちゃいかん、任地では常備薬が大切だ、セルフメディケーションが健康の要だ」と偉そうに言っておきながら、首都にあがる時のポーチにたいした薬が入っていなかった点を猛省。枕みたいな量の薬を持ってきても(笑)、欲しい時に無かったら何の役にも立たない・・・。自分自身も気を付けます・・・。

 

今は病院でもらったセチリジン飲んで落ち着いてます。あれだけオリエンテーションで言われていた「経過観察のために目に見える症状が出たら写真を撮るように」という指示も頭からぽーんと抜けてしまっていたので、自分自身リマインドする良い機会になりました。

 

あ、原因は分からないままですが、今はすっかり元気です!

 

そして第1号活動報告書も出しました。

わたしたち青年海外協力隊の隊員は、報告書の提出が義務付けられています。

  • 第1号報告書 赴任後3か月
  • 第2号報告書 赴任後6か月
  • 第3号報告書 赴任後12か月
  • 第4号報告書 赴任後18か月
  • 第5号報告書 赴任後24か月

第1号は配属先の情報やニーズなど、これから必要となる基本情報の整理がメインで、その後は実際の活動報告や社会格差に対する所見、受け入れ国の人々の変化について等、どんどん内容が深まっていきます。

 

第1号報告書の提出は赴任後3か月といっても、最初の1か月は語学訓練で首都に滞在しているため、実質本赴任してから2か月経過時点で報告書を書くことになります。

 

「新規」と「交替」

協力隊の受け入れ先の形態は「新規」「交替」の2種類があります。要請が出されて初めて協力隊を受け入れるのが「新規」、既に先輩隊員が活動していた配属先は「交替」。それぞれに、それぞれの、やりがいや苦労があるかと思いますが、私の場合は「新規」の案件なので、私が何をしに来た、どこの誰だか、ほぼ誰も知らないところからのスタートでした。

 

新規案件はとにかく何もかもが”真っ白”で、真っ白なキャンパスに色を塗っていくというよりは、キャンパスどこ?絵具どこ?というところからのスタートな気がします。一方、交替案件で活動されていた方のお話を聞いたときに、「”前任”という亡霊との闘いの日々だった」と仰っていたのが印象に残っているのですが、引継ぎ期間が現地で設けられていない中で前任者と比較されるのは確かに辛そうです。現地の人に残っているのは”2年住んだあとの前任者”の記憶、そして自分は”これから2年住む新任”、異文化理解や言語の習熟度に差があって当然なのですが、誰かとの比較というのはときに辛い障壁になってしまうこともありそうです。しかし、引継ぎがしっかりなされていれば、イチからPDCAを回すのではなく、今まで積み上げてこられたものに「+α」して活動していけるという利点もあります。

 

 

「新規」、好きやな

 

50人以上も居る大所帯の局で、実際同じ課に居て毎日顔を合わせるのはそのうち5人だけ。赴任した日は「え?!2年も居るの?!」と驚かれ、未だに他の課の人たちから「何しにきたの?」と言われることもあります。日本のようなホウレンソウ文化は無いので、私はひたすら、選挙カーのように挨拶と自己紹介をしながら局内を徘徊する日々。小腹がすいたら局内をうろついて、「キンソム」という、すっぱい果物やパパイヤサラダを食べるおやつ文化をコミュニケーションツールにしつつ、私のことを知ってもらったり、色々教えてもらったりしています。

 

市場のどの店の肉が新鮮かとか、野菜、果物、肉、それぞれどれぐらいの値段で買えるかとか、シンの仕立てはどこのテイラーさんが上手いとか、生活情報もキンソムの時間にだいたい仕入れることができます。そしていつも少し払おうとしたら「いいのいいの!」と受け取ってもらえず、ご相伴にあずかる日々。

 

ODOPの事、県のこと、少しずつ分かってきたようなそうでないような、その中で未だに答えが出せず迷っているのは、時間という有限なリソースをどこまで「調査」に使うかということ。自分が着手しやすく、近くに生産者さんが居るという事を考えると、近隣の手工芸の生産グループと一緒に活動していくのが手っ取り早いのですが、60品目あるODOP商品の全てに手をかけることは無理でも、一度は生産者さんのところに足を運んで、「機会」を作りたい。特に、ポンホーン以北の山間部は政府により貧困地域に指定されている場所も多いので、いろんな声を聴いて、自分の活動に意味を持たせていきたい。という思いもあり。

 

じゃあ、生産者さんを訪ねて、何を聞く?ただ行くだけではもちろんダメで、後で見返せるような形に残していきたいんだけれども、どんなデータを蓄積したらこの後の活動の有益な財産となる?後任に引き継ぎやすくなる??と考えだしたら沼にはまってしまい、ひたすら石橋を叩いて叩いて、叩きまくって、橋の手前で立ち尽くしている、そんな状況です。こういうときにサクサクッとPDM/PCMが作れる人間に、次回はなりたい。

 

 

ただ、私は新規案件でこの地に来て、未だに砂漠の真ん中にぽつんと立ってるような気持ちで居ますが(笑)、コンパスになりうるものはいくつかあるのに使い方が分からず、どっちが北か分からないような状態だということも自覚しています。とりあえず動いてみたらいいのに、こういうときだけやけにビビる。時間はないし、既にカウントダウンは始まってるんだから、同期、先輩、他県・他国での実績、今市場に出回っている商品、色んな方向にアンテナ立てまくって、全力で駆け抜けねば。

 

と、大きいことを言いすぎると、活動が行き詰ったときに自分の首を絞めまくるので、このへんにしよう(笑 

 

 

活動報告書、2号以降は日本語だけではないらしい

日本語+英語もしくは現地語で同じものを書いて活動先の人たちと情報共有をしていくこととなります。しかし、ラオ語はシステムに登録する際に文字化けが起きてしまうらしく、英語での提出が必要です。つまり、現地の人が英語苦手だったら、3言語・・・??と思って震えていますが、どうなんでしょうか。

 

無理やりラオ語ねじ込んだら英語もクメール語もはるか彼方に飛んでいってしまったので、余裕を持って、明後日ぐらいから報告書の作成に取り掛かる予定です・・・。嘘です。(笑)