ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽で、Memento Moriな毎日を。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。

人生2度目のアメーバ赤痢で入院した話

さばいでぃー!

みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。タイトル通り、入院してきました。というか、現在進行形で入院中です。日本ではもう聞かない「アメーバ赤痢」という病気にかかり現在入院2日目なわけですが、途上国で病気になったらこんな感じ!という事をお伝えするために、病院での生々しい体験などあえて書いてみようと思います。ただ、いかんせんアメーバ赤痢の話ですので、どう頑張っても内容が・・・。お食事されてる方は回れ右してお帰りください(笑)

 

5月16日お昼 謎の吐き気。

朝、いつも通り配属先に行って、ランチタイムまでは「なんかお腹がころころするな~」って感じる程度で、大きな異変を感じずに活動。ランチタイムに皆でカオピヤックを食べに行きました。普段ならすぐ食べ終わるんですが、なんか食が進まないというか、食べてるときにちょっとえづくような感覚があるというか。この日食べたカオピヤック、めちゃめちゃ胡椒が効いていたので、それでいつもみたいにすすれないのかなぁと思いながら、少しずつ食べて、なんとか完食。皆に「ラオ子、全然すすまないね!どうしたの?美味しくない?体調悪い?」と聞かれました。

 

 

その後、配属先から7kmほどのところにあるカフェで皆で一服。コーヒーは普通に飲めました。ああ、幸せ。でも、お腹が落ち着かないというか、つっかえる感じというか。いつもみたいに美味しく飲めませんでした。

 

そして事務所に戻って午後の活動・・・と思ったのですが、猛烈な腹痛に襲われたため、バイクで自力で帰れるうちに、と、早めに帰らせてもらうことに。

 

家に帰って熱を計ると、37.5度ぐらい。数日前に何日か微熱を出していたので、ちょっとぶり返したかな?と思って、水分をとってそのまま少し寝ました。

 

5月16日夕方 悪寒、高熱

夕方ごろ、体ががくがく震えて目を覚ました。なんだこの寒気は。そして熱を計ったら38度を超えていました。私の任地はマラリアを媒介する蚊が居ないところだと聞いていたので、ここで疑ったのは、食中毒とデング出血熱です。カンボジアに居るときにアメーバ赤痢を経験済みなのですが、あの時は一番最初に激しい下痢嘔吐が続いて、その後熱が上がって衰弱したので、アメーバ赤痢はもっとハードだった印象がありました。なので、ライトな食あたりかなと思い、布団をかぶって、刺しこむような下腹部の痛みに脂汗を滲ませながらひたすら耐えました。気を紛らわすためにアマゾンプライムでドキュメンタルを見ていたら、いつのまにか寝落ち。数時間そのまま眠りました。

 

5月16日夜 悪寒、高熱、関節痛、下痢

ん??インフルかな??と思うような体の節々の痛みで目が覚めました。ヘルニア持ちだからか分かりませんが、高熱が出ると、寝返りが打てないぐらい腰が痛くなります。そして、体に布がさわっているだけでぞわぞわして気持ち悪いぐらいの悪寒。熱は39度を超え、吐き気や嘔吐は全く無いのですが、激しく下し始めました。

 

これはまずいな、と思い、健康管理員さんに相談。翌朝近くの病院でマラリアとデング出血熱の血液検査を受けることになりました。とりあえず解熱のためにアセトアミノフェンを飲むよう指示をもらい、電話を切った直後の20時すぎと、日付がかわったころに500mlを1錠ずつ服薬。同僚に連絡して、翌朝病院に連れて行ってもらう約束をしました。

 

解熱剤を飲んでも熱は下がらず、むしろその後39.4度まであがりました。そして悪寒と関節痛もどんどんひどくなり、体が寒気で勝手にガタガタ震えるけど震えるたびに関節が痛いという悲しいループ始まりました。

 

多分、朝までに20回以上トイレに立てこもったと思います。もう、トイレで寝たらいいのでは?と思い始めました。でもこの腰痛と高熱では起きていられません。

 

明け方になると熱は37度台まで下がりましたが、腹痛は依然収まる様子がありません。血便っぽくなりだしたときにはさすがにヤバいと思って色々調べましたが、内容が頭に入ってこず。これでもう一度熱が上がったらデング出血熱の可能性が上がることと、もしデングだったら2回目以降は重症化するからここでの生活の危険度がいっきに増すことを知って、絶望。

 

5月17日朝 病院へ。

寝ている間にかなり発汗したらしく、起きたときには寝間着がじっとり濡れていました。おかげで熱も37度前半まで下がり、ちょっとすっきりしています。しかし腹痛と下痢は収まらず、昨日の昼のカオピヤック以降まともに何も食べていないので、ふらふらと視界が揺れます。念のため入院セットをつくって家に置いておき、同僚の車で病院に向かいました。

 

迎えに来てくれた同僚に、車の中で「デングかマラリアにかかっていないか、血液検査してほしい。もしどちらかだったらすぐにJICAの車が迎えにきてくれるので首都に入院しに行く。そうでなかったらきっと食中毒なので家に帰って療養する。」と話したところ、きちんと伝わったので、病院に着いてから同じように看護師にも説明し、同僚からも説明してくてました。

 

しかし、特定の医師や看護師から問診をされることはなく、きちんと情報共有がされているのか不安に感じました。それを確認する間もなく、さっき話した人ととは違う看護師さんから採血されます。「デングとマラリアをチェックしてね」と何度も何度も確認しながら、採血が終わりました。

 

そして、車いすに乗せられて、何故かエコー室へ。診察台にのせられて下腹部にエコーをあてられましたが、先生いわく「何も食べてないから見たいものが映らない!水をたくさん飲んでおしっこをしたくなったら出直して!」とのこと。

 

まてまてぇい!!こっちはもう一晩中下しとんねん。飲んでも尿にはならんわ!!と思い、看護師に伝えましたが、無常にも同僚が買ってきた1.5リットルの水が目の前にドンっと2本置かれます。

 

「ラオ子!飲めるだけ飲んで!」

 

ここから、地獄が始まりました。

 

5月17日 朝10時 拷問スタート

「11時にはエコーの先生休憩に入っちゃうから、早く水飲んで!!」

 

「ラオ子!私も仕事があるから早くして!」

 

ちょっと待って、私な、一晩くだしまくってて、体弱ってんねんか。言うたよな。・・・と思いながら、飲めるだけ飲む。飲んでエコーして帰れるなら飲む。飲めって言われるから飲む。そして500mlぐらい頑張ったところで、猛烈な吐き気に襲われ、お腹がキリキリと痛む。そりゃそうですよね、お腹くだしてる時にミネラルウォーターいっきなんて、お腹痛くなるに決まってますよね。

 

「ラオ子、お腹いたいの?よし、エコー室いこ!」

 

と、私が座っている車いすが動き出します。え、待って待って、行き先そっちちゃう!!と思うのですが、もう全く声も出ないぐらいお腹が痛くて、ひたすら蹲っているとまたさっきのエコー室に着きました。

 

そして診察台に乗せられ、服をめくってお腹を出し、「先生すぐ来るからね」と言われてそのまま待機。エアコンの直風を受けながら、待機。待てど暮らせど、先生来ない。刺しこむような腹痛に脂汗が止まりません。10分後ぐらいに限界がきて、「もう無理、トイレ!!」というと、呆れながらトイレに連れていかれます。「またエコーできなかったよ!トイレだって!トイレ!先生待てないんだって!!」と患者さんがたくさん居る中看護師同士で話しています。なんの辱めだこれは。

 

そして外来に戻され、また目の前に水が置かれます。「もうエコーいい、絶対ただの食中毒だから帰らせて」と言いましたが、「もう先に精算してるから!」とのこと。問診もされてない、診察室にも入ってない、誰も私のカルテ持ってないのに、誰情報の、誰判断で、その精算をしたのか???私には一生分からないことです。分からなくて、いいです。早く帰れたらそれでいい。水を飲もう。

 

ここから、水→エコー未遂→トイレを、水2リットル分繰り返しました。最初は500ml頑張って飲みましたが、当然スパンはどんどん短くなっていきます。トイレ行きを4回繰り返したころには、口に水を含んだだけで条件反射で下腹部に激痛が走ります。

 

そして私は、「体が受け付けないミネラルウォーターを2リットル分、一気飲みしてはトイレに行く」という行為を1時間ほど強制された結果、下腹部の激痛がピークに達し、話もできないぐらいぐったりと衰弱して、そのまま入院することになりました。2リットルで大げさやろと思う人、食中毒で高熱出して下した翌日にやってみてください。是非!

 

処置室で、入院する個室の掃除を待っている間、それまで遠くで見ていた婦長さんらしき人に「何でそんなに水飲んですぐお腹いたくなるの?」と聞かれ、「いや、私何回も言ってるけど、昨日の夜からずっと下してるんですよ」と言うと、「あ、そうだったの~!知らなかったわ~!じゃあ痛み止め打って、点滴しましょうね。多分アメーバ赤痢だわ」と。

 

・・・。

 

なんかもう、次からは、病状をシャツにでも書いて誰が見ても分かるようにしないとダメだなって思いました。そして、何の痛み止めを打ったのかは未だに分かりませんが、左尻の上のあたりに昨晩からの腹痛を軽く超える痛さの注射を打たれました。あの・・・なんの注射打ったんですか?

 

もう、何もかも、意味がわからない。病室に移動しながら「トイレどんなかんじ?」と聞かれたので、「緑色やった」と言うと、「水の飲み過ぎよ!」と言われました。

 

―言葉にならず、一筋の涙がこぼれました。

 

私も、そう思う。

 

だって、めっちゃ飲んだもん。ここで。

 

5月17日お昼前 病室でゴネる

 

ラオスでは、入院患者のお世話は基本的に家族が行います。カンボジアもそうだったな。私には、お世話をしてくれる人はもちろん居ないので、入れ代わり立ち代わり、局の人たちが気を遣ってお見舞いに来てくれます。みんな、やさしい。

 

お昼ご飯に持ってきてくれたのは、ご飯、醤油、豚肉を乾燥させて細かく裂いた綿みたいなやつ、黒ゴマ豆乳、バターケーキ、パン1斤。・・・ごめん、ごめんなさい、でもね、どれも食べられない・・・。食欲は昨日の昼から無かったし、午前中の水攻めで心も体もやられてしまって、口にモノを入れられる状態ではなくなっていたのです。それでも、来る人来る人、「食べろ!食べないから治らない!」「いつも朝ごはん食べてないんだろ?だから胃が痛いんだ!」「食べないと先生がくれた薬が飲めないだろ!」と、色々心配してくれます。・・・そんなに健康のこと気遣ってくれるなら、アルコール強制するのやめてほしいなぁ・・・と、心の中でつっこみながら、「そうだねー」と精いっぱい笑顔で相槌を打ちます。気持ちは嬉しいし、差し入れもありがたいけど、本当にどれも食べれませんでした。体が受け付けませんでした。

 

それからお医者さんがくれた薬、アセトアミノフェン500mgを食後に2錠。日本での1回の最高投与量も、1000mg。私のその時の熱、37度前半。え、要る?そんなに要る???もう、何も信じられない。何もかも疑いを持ってしまう。

 

そしてぽろっと口から出た言葉、

 

「入院したくない、家に帰りたい。」

 

局の人たちには顔を見合わせて、みんなで猛反対。「ダメ!ラオ子に何かあっても家に一人だったら分からないでしょう」と。でも、入れ代わり立ち代わり色んな人が来てくれたら、落ち着けない。来てくれたら挨拶して、病状話して、帰るときはもちろんお礼言って、寝てる間もフラッシュたいて写真とられたり、個室の中でずっと誰かとボイスメッセージしてたりして、全く眠れない。個室内にあるトイレにも行きにくい。気が休まらないし、一人にしてほしい。(本音)自分でお粥を炊いて、母手製の梅干しを乗せて、食べれるだけ食べて、寝れるだけ寝て・・・って、自分のペースで治したい。ごめんなさい、高熱出して、一晩中下して、朝から2リットル水飲まされて、それでいて皆の優しさや文化を全て受け止める余裕は、今の私には、ありません・・・。

 

「デングかマラリアじゃないことが分かったら多分ただの食あたりだから。体が弱ってるときは日本のごはんが食べたいの。皆忙しいのに来てもらったら申し訳ないし、一人で夜ここに居るのは不便だし、バイクで来てないから帰りも大変だし、入院するなら首都だと思ってたから財布と携帯しか持ってきてないし、お願いだから帰らせて」と私も譲りません。看護師を呼んでの話し合いになりましたが、看護師も「全然食べられてないし、緑色の便しか出てないっていうし、血液検査の数値も良くないし、抗生剤打たないとダメよ。かなり弱ってるし家で一人で居るのは危ないわ」と。

 

緑の便しか出てないのも、かなり弱ってるように見えるのも、午前中に水飲まされすぎたせいやで。

 

と心の中でつっこみました。お腹下してるとあれだけ言ったのに全く共有される気配もなく投薬されるのも怖いし、ここに居たら体も心も休まらないし、絶対に譲らない!と私は戦う姿勢です。そして頑なに、「私は日本で薬を売る資格を持ってる専門家なの!(登録販売者だけどね)血液検査の結果さえわかれば自分で治せるから、帰る!家にたくさん薬もあるし、日本から持ってきた自分に合う薬が飲みたい。それに、日本の料理が食べたい!病気の時は日本のものが食べたいの!」と、みんなが絶対に叶えることのできない我が儘を言い続けました。

 

いよいよ困った上司が、JICA事務所に連絡。「ラオ子が帰ると聞かないが、かなり弱っている様子で、でも入院するにしても付き添える人が居ないのも確かだから、首都に連れて行っていいか」ということを話してくれたようでした。

 

時を同じくして、血液検査の結果を健康管理員さんに送って状況説明をしたところ、きちんとした検査、治療、そして療養が必要だと判断されたため、私は打ち始めたばかりの点滴を抜かれてそのまま局の車で上京することになりました。

 

「行く前にご飯食べなさい!」「いやいや、首都までの道中で急にお腹痛くなったら嫌だから!」「だめよ、ご飯食べないと元気にならないでしょう!」「2時間もガマンできんし、途中何もないやん!!首都行ったら食べるから!!」と、最後まで小競り合いして、病院を後にしました。みんな、心配してくれてありがとう。けど、病人の時は、「日本式」「私式」でいかせてください・・・。

 

5月17日夕方 首都の病院へ

首都のタイ系のクリニックに着くとすぐにお医者さんからの問診を受けました。そして、血液検査、検便と、トントン拍子で進んでいきます。・・・というのは全部JICAの健康管理員さんが付き添ってくださったおかげ。前日から相談させていただいたこともあり、午前中の病院での診察や投薬の状況も全て先生に説明してくださって、私はただ腹を押さえて「ちぇっぷとん(お腹痛い)」と言っていただけ。ありがてえ・・・・と噛みしめていると、「アメーバ赤痢」との診断結果が出て、そのまま入院することになりました。

 

 私の部屋のベッドがラブリーだと言うのは以前もお伝えしましたが、なんの因果か私が入院することになった部屋も相当ラブリーでした。スティッチに、アナ雪に、プーさんに、スヌーピー。とにかく情報過多。コンテンツ過多。部屋に撮影禁止の張り紙があったので写真は控えます。想像力を働かせてください。

 

入院が決まったのが夕方だったため、この日はもう夕食の用意ができないと言われましたが、何も食べたいと思わなかったので了承しました。その後、おかゆだけ少し持ってきてくれたので、薬を飲むために少し食べようと思って口にしたら、あっという間に全部なくなって、そしてすぐさまお腹が痛くなりました。回復にはまだまだ時間がかかる。

 

5月18日 入院2日目

 ごはんは自分で決めることができるので、朝ごはんには一番ライトそうな豚肉のおかゆをチョイスしてみました。ほんの一瞬、アーモンドクロワッサンとバタークロワッサンのセットに目がいきましたが、入院2日目の朝はこれを頼めるぐらい回復するぞと心に誓っておかゆにしました。

 

お昼は揚げ豚のおかゆ、夜はカオマンガイと、徐々に回復していきます。「カオマンガイが大丈夫なら、スパゲッティカルボナーラに変更していい?」と聞いたら、「いや、だめ(笑)」と断られました。しっかりしてる。(出てきても多分食べられないけど食欲だけはある)

 

思えばこれ、人生4度目の入院。人生初の入院はカンボジア、この時もアメーバ赤痢。2回目もカンボジア、インフルエンザ。3回目は訓練が始まる少し前、全身麻酔で4本とも親知らずを抜歯しました。(4本いっきは本当におすすめしません。抜く必要があると分かっている人は、時間がある学生のうちに抜きましょう)

 

同じように今回も、発病して、検査を受け、点滴を打ちながら部屋でぼーっと回復を待つだけなんですが、今回違ったのは、人生初の「お見舞いに来てもらう」という体験ができた(?)ことです。首都隊員の同期がお見舞いにきてくれて、元気貰えたし、本当に嬉しかった。休みの日にわざわざありがとう・・・!

 

そして今

平熱に戻り、悪寒も倦怠感も関節痛も治りました。あとはお腹の調子さえ戻ってくれれば完全復帰です。明日の朝もう一度検査して、アメーバさんが居なくなっていたら退院、やさしいご飯から徐々にならして元の生活に戻れることでしょう・・・。アメーバは潜伏期間が長いので何であたったか特定するのは不可能で、気を付けようがないのも現状です。またいつやってくるか分からない。怖い。

 

数年前、カンボジアでお世話になっていた病院も、タイの先生の病院でした。日本人通訳さんが居て下さったし、そうでない時でも英語が通じるので、不便と感じたことはありません。ただ、カンボジアの超ローカル病院で会社の健康診断を受けたときに、病院の様子を見て「こりゃすごい」と思ってはいたのですが、まさか自分もそういう所でお世話になることになるなんて・・・。それがまさかこんなにもスパイシーな経験に繋がるなんて思ってもいなかったので、まだまだ覚悟(?)が足りなかったなあと思いました。私はまだ首都まで2~3時間であがってこれますが、そうではない隊員はもっとハードな経験をすることでしょう。みんな、体調には本当に気を付けよう。

 

また、今回は、おかしいと思った時点で健康管理員さんに相談させてもらったことで、検査項目の指示を受けてから病院に行けたり、点滴や薬の写真、検査結果などを全て写真に残しておいたおかげで、自分が何を投薬されてどういった治療を受けたのかなど詳しく聞けました。次回から(次回とか無いほうがいいんだけど)は異変を感じたら首都に上がって安心できる病院で治療を受ける、そのための体力を残す(悪化するまで無理しない)、をまず第1目標に、それでも何かあったときは早めの相談・写真を残すことを忘れず、健康管理に努めたいと思いました・・。

 

一番怖いのは、最近届いた「バイク」です。実際任地に来てから何度か事故を見ているのですが、けがをした時に運ばれる場所は間違いなく最初に行った病院なので、事故など絶対に起こさぬように、ゆっくりと、余裕を持って、走りたいと思います。・・・もう、病院にお世話にならず、健康で日本に帰るために。