ラオスのラオ子。

美味しいものと音楽で、Memento Moriな毎日を。青年海外協力隊2018年度3次隊コミュニティ開発隊員の活動記録兼ラオス情報。

手工芸や伝統、そして活動のこと。

さばいでぃー!

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みなさんこんにちは、ラオスのラオ子です。同僚んとこのコンキドゥー(いたずらっこ)がが可愛すぎます。お庭で太陽の光を浴びてほかほかぬくぬくのマンゴーやジャックフルーツをいただいて、たまにちょっとしたフルーツアレルギーを出しながら、彼に癒されまくってます。ほんとに可愛い。一人の時はめちゃめちゃお利口さんやのに従弟と一緒になるととんでもやんちゃ坊主。

 

 

同じ敷地にもおちゃめないたずらっこが数名おり、ギャン泣きしてたり、遊んでほしそうにもじもじこっちを見てたり、私の大切な手袋持ってったりして、飽きない毎日を送らせていただいています。感謝。

 

 

充電器を繋いでおくのも怖いぐらいの雷に窓のサッシが軋んだり、スコールの風向きによって家の特定の方角の床だけが水浸しになったりと、雨季に入ってからイベントが増えました。しかもサッシまわりの汚れが流れこんできたらしく泥水。・・・飽きない毎日を、送らせて、いただいて、います。感謝。

 

さて、ラオスにやってきてもうすぐ半年、任地で活動を始めてから5か月が経とうとしています。これから帰国までの1年半の活動の軸となる「活動計画」の提出が迫っています。自分の活動に於ける「定量的に観測できる目標設定」って一体なんだろう?と考え出すと、生活リズムが不規則になっていても入眠しやすい事に気が付きました。目標設定云々の難しい話は一旦バナナの葉に包んで蒸しておくとして、ここ4カ月生産者さんと関わりを持ち手工芸に触れるなかで感じた事をぽろぽろと書き留めておきたいと思います。

 

 

ラオスにおける「シン」の存在

 

こちら、私のカウンターパートの二人。左のVさんが着ているのは、ビエンチャン県の北東、シェンクワン県の布。細かい絣のプン・シン(スカート本体の布)と、プンシンに負けない鮮やかな色使いのティン・シン(裾布)。これだけ細かい仕事のものだから、安くなかったでしょう?と尋ねると、100ドル以上よ!と・・・。

 

 

右のSさんが着ているのは、一緒に視察に行ったMaed郡Napho村で買っていたシン。プン・シンは単色ですがよく見ると柄になっています。

 

金糸、銀糸をあしらった華やかなティン・シンがビエンチャン県のシンの特徴の一つでもあり、フォーマル、よそいき、大人の女性、公務員や大学の先生が着るようなものなのだそうです。確かにビエンチャン県のシンからは、「あたたかさ」を感じるハンドメイドとは違う、洗礼された雰囲気を感じます。

 

同僚、上司に直接お給料がいくらか聞くことはありませんが、おそらく1万円以上の布だと月収の1/2~1/4ぐらいの感覚ではないかと想定しています。2018年5月のジェトロさんの記事に「ラオスの最低賃金が14300円に引き上げられた」と書かれていましたので、安い買い物ではありません。それでも彼女たちは、シンにお金を掛けます。普段は動きやすい普通の服を着ていますが、仕事や儀式のときは、お気に入りのシンでバッチリきめてくる。それに、私が新しいシンを何も言わずに履いていくと、「どこで買ったの?いくら?」と、すぐに気がついてくれるし、私の任地(過疎地認定を頂きました笑)にも仕立て屋やシン屋さんは何軒もあり、ラオスの女性にとっての「シン」が、生活の真ん中にあることを教えてくれます。

 

 

5月末に視察させてもらったチェンサワン村の生産グループは「魚」をモチーフにした柄のついたシンをODOPに登録していますが、そこから200km以上も離れた山の中のナポー村でも同じ柄のものが織られていて、それがいつ、どこからどう伝わったものなのかという事にちょっと興味が湧き始めています。(でもナポー村にはなかなか行けないなあ・・・)

 

この魚のシンボルはビエンチャン県特有のものだそうですが、ビエンチャン県をはじめ、メコン川流域の様々な県で同じモチーフが使われていることもあります。それが「ナーガ」です。ラオスは、ラオ族をはじめ、モン族、カム族、ルー族など50以上の民族で構成された多民族国家ですが、どの民族も仏教、アニミズム、シャーマニズムを複合的に取り入れた独自の信仰を形成しており、それが思想、文化となり、その地固有のものとして未だに色濃く残っています。そしてそれが「シン」の模様にも反映され、土地土地によってそれぞれ特色のあるパターンが織られていくのです。

 

ナーガのように広い地域で織られているパターンがあるのは、ナーガ信仰がメコン川流域で広く民話として口伝されたり、お寺の壁に描かれたりしたからです。織り手の女性たちはそれにインスピレーションを受けてシンに物語を織り込み、ナーガのモチーフが民族や地域を越えて広まったそうです。

 

陰暦11月の十五夜の日にメコンに灯篭を流して雨の恵みに感謝したり、川を渡るときにナーガのたてがみと同じ赤をものを身に纏うのを避けたり、ナーガの火の玉をメコン川で見つけたらお供えを備えたり・・・など、土地によって儀式の方法は様々でも、メコン川流域の人たちは何かしらの形でナーガを信仰し、様々な表現方法でシンに織り込んできました。(まだまだ勉強不足なので、1年後には違うこと言ってるかもしれません。)

 

昔に織られた布は、歴史、文化、宗教など、たくさんのことを語ってくれますが、最近織られるシンはそうではなくなっています。そこには、織り手の技術が下がったことや、流行りのもの(=売れるもの)を織るというやり方に変わってきていること、若者のシン離れ(着る・織るどちらも)など、たくさんの原因が考えられます。

 

「シン」とどうかかわるか

 

 

着任後しばらくは、局で「一体何をしたらいいんだろう・・・」と、ポツンとしているだけの時間も多かったのですが、最近は、産業商業局に出向く時間が徐々に減り、近くの手工芸品を製造販売している会社に行く機会が増えました。バイク、強い。自分で自由に動けるって、最高だ。(安全上仕方ないことだと分かってはいますが、バイクが活動に必要だからバイクを貸与されているんだから、任地で2か月も待たずにもっと早く欲しかった・・・。)

 

 

どうしても欲しいデザインがあって、視察に行ったついでに購入したら、上のピアスとかんざしをおまけにくれました。どれも手作り。ああ、可愛い。ラオスらしさが伝わる手作り。とっても素敵。かんざしは、ラオスの機織り機で使われている「杼(ひ)」、別名シャトルを模したもの。この船のような形の道具に巻いた糸を入れて、柄によっては何種類もの杼を使い分け、手作業で経糸にシルクの糸をくくって模様をつくりながら、経糸の間を何千、何万と往復させ、1枚の布を仕上げていくのです。

 

さて突然ですが問題です。何故、かんざしもピアスも三角錐なのでしょうか。

 

ラオスに来られたことがある人は、もしかしたら食べたことがある・・・かも。

 

 

そうです、この、ばななの葉でもち米をくるんで蒸したお菓子。

 

名前~・・・なんだっけ。忘れました。ここまで話題にしといて肝心のラオ語が出てこない。いや、お恥ずかしい(笑)

 

 

で、まぁ、その、バナナの葉でくるんだもち米のお菓子に見立てた可愛いピアス、この模様の部分も、シルクなんです。結構分厚い生地なので、こんな細かい作業するのはなかなか大変です。ゴールドのパーツだったらもっと可愛いかなー。パッケージも改善したいなー。

 

 

こちらの写真、足元をご覧ください。KEENのサンダルしか履いてないからKEENの形のまま日焼けして・・・っていう話ではなく、お店の中を自由に撮影させてもらっていたら、仕立てられたあとのシンを見つけました。ちょっと短かったけど、裾布の柄がとっても綺麗で、絣の模様も控えめでとても素敵。

 

「サイズぴったりじゃない、そのまま履いて帰りなさい」

 

と、オーナー。

 

「私の娘が履いてたものなんだけど、もう着れなくなってしまったからあげるわ。あなたも私の娘だからね。」

 

ああ、嬉しいなあ・・・こういう温かい言葉が分かるようになって、嬉しい。そしてオーナーの気持ちが本当に嬉しい。

 

パービヤンという公式な場でつけるスカーフを巻いて写真を撮ってくれました。

 

 

お店の中には、サイニャブリ県という、ラオス北西部の町の布で織られたゾウさんも居ます。ビエンチャン県とは全く違う、コットンを藍で染めた優しい布。普段使い用のポーチや鞄などの小物にぴったりです。ラオスといえばゾウなイメージのうえに、ゾウ祭が開催される場所にぴったりのお土産もの、うらやましい・・・。ビエンチャン県も何か無いかな。まだまだ調査が必要です。

 

 

「これは、私が学生の頃に着ていたものよ」と見せてくれたシン。これは裾布の部分ですが、今の主流のものの半分ぐらいの幅です。シンにもその時のトレンドがあるらしい。当時のアルバムには今と変わらず美しいお母さんがこのシンを纏って学友と共に笑顔で写っている写真ばかり。

 

それにしても、この裾布、めちゃめちゃ可愛いじゃないですか・・・。

 

 

そして驚いたのがこちら。「私のお母さんのお母さんが若い時に着ていたシンよ」と見せてくれた、絣のシン。ところどころ解れや虫食い、大きな穴も開いていたけど、その綻びやあて布すら、大切に長く長く着られたものだということを教えてくれます。

 

ラオスのシルク100%で紡がれた糸は、繊細で、滑らかで、すこし触っただけで素人の私にも違いが分かります。撫でるとキメ細やか、手に持ってみるととても薄いのにパリッとハリがあって、素材の良さだけでなく、織り手さんも相当の技術を持っていたことが伺えます。

 

 

これが上の絣についている裾布の部分。この地に伝統的に伝わるモチーフですが、今はこういった模様を織ることも少なくなったと仰っていました。

 

今ビエンチャン県で織られている主流のきらびやかなものより、こっちのデザインのほうが個人的に好きです。

 

 

 シンに織られるモチーフはその地の伝統そのもの。民族性、地域性が年々希薄化していくなか、この店のオーナーは、このように伝統あるモチーフをシンの裾布やストールに織りこむことによって、繋ぎとめようとしています。

 

日本で着ものを着る機会が殆ど無くなってしまったように、シンもいつかそうなってしまうのかと思うと、悲しい。そうなればますます生産者さんの生活は圧迫され、消費者優位の市場の中で「売れるものをつくる」ことに拍車がかかり、地域の中で受け継がれてきた伝統が消えていくんだろうなあ・・・・。

 

 

日々の収入を得るためにと、海外の糸や化繊を混ぜたり、染色が簡単で発色も良い化学染料を使い、低品質な製品を量産してしまうことで、生産が需要を上回ってしまっている現実を、どの生産者さんと話していても実感した、生産者巡り。「これからどうしていきたいですか」と尋ねると、外国人の私に対しての答えはだいたい「日本(もしくは海外)へ輸出したい」でした。生産者さんだけでなく、産業商業局からも同じような意見がでます。この顕在的課題対しては一緒に活動しやすいけれど、今の買い手優位の市場のなかで、流行や量産化の波にのまれずその地域の伝統を「ブランド」にできる土台を作っていくというのが潜在的課題になるのではないかと仮定すると、派遣期間から逆算すると時間もスキルもぜんぜん足りない現実にぶち当たるような。そんな気持ち。でもまだ本質にぶち当たったような気は全然しなくて、あっちこっち迷子になりながら、私が目を向けたいところと、行政として目指す場所と、生産者さんたちが織物で生活していくための方法と、交差するはずの”どこか”を探したい。

 

世界各地で、その場所の伝統や手工芸を活かした製品作りをしている日本人が日々奮闘されている姿をSNSで拝見していると、私がこの2年で出来ること、なんてほんとに僅かなんだと実感します。増してや何かを残したいなんておこがましいんではないかとも考える。一人だと、かなり難しい。私には何の力もない。だから、一緒に頑張りたい。生産者さん、同期、先輩、配属先の皆と。

 

ラオ語が全然上達せず、これは間違い自分の努力不足だと認識しているけれど、相手の言っていることを推測できるだけの知識も全く無い事に気づき、学ぶことの大切さを実感している今日このごろ。知らない事が多すぎて、まだまだアウトプットできるものは無い。学ぼう。学びまくろう。無知は悪いことではないけど、知らないことを言い分けにするのはだめだ。泣いても笑っても、長くてあと1年半だもの。

 

ああ、もうすぐ、ここでの生活の1/4が終わってしまうんだな。